夏の高校野球決勝 深紅の大優勝旗がついに白河の関を超えるか
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夏の高校野球が今日決勝戦が行われフィナーレを迎えます。
今年甲子園を大いに盛り上げた清宮を擁する早実とオコエ瑠偉を擁する関東一は準決勝で敗れてしまいました。
悔しさをにじませていた清宮とオコエの姿が印象的でしたね。
二人が去った甲子園ですが、人々の興味は新たなことに変わってきています。
その一つが夏の高校野球の深紅の大優勝旗が白河の関を越えるかどうか。
かつての東北勢の強豪が幾度となく挑戦し、果たせなかった大仕事が今日果たせるかどうか?
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甲子園の白河の関越えとは?
春夏通じて高校野球の歴史で東北勢が優勝したことは一度もありません。その念願を達成できるかどうかで使われる言葉です。
白河の関とは、奥州三関の一つ。現在の福島県白河市にあります。奥州は「奥州藤原氏」などといわれるようにかつての東北地方の地域名です。
今年こそはと地元の期待を浴びながら果たせなかった偉業ですが、そのチャンスが今年あと1勝のところまで来たわけですね。
白河越えはすでに成しえている?
高校野球の白河越えは、かつて北海道勢も優勝がなかったため、東北・北海道勢を優勝することで使われる言葉でした。
その北海道勢ですが、2004年に駒大苫小牧が初優勝を飾っています。当時の駒大苫小牧のエースが楽天イーグルスから現在メジャーリーグのヤンキースで活躍するマー君こと田中将大選手です。
まだ記憶に新しい人も多いのではないでしょうか。
ココで疑問がわきますよね。すでに優勝旗は白河の関を越えたと。
ただ、北海道は陸続きでないので、基本甲子園までは飛行機で行くことになります。
そのため、まだ陸路では優勝旗は越えていないということで、いまだに甲子園の白河越えは、東北勢の初優勝の比喩として使われています。
仙台も空路が便利なので飛行機で行くのでは?というツッコミもあるでしょうが、そういうことです。
甲子園白河越えの歴史
東北勢の長年の悲願である白河越え。その歴史は実は夏の高校野球第1回にさかのぼります。
第1回大会は東北勢の秋田中が大活躍します。
秋田中は現在の秋田高校。
秋田中は、準決勝で早実に3-1で勝利。
続く決勝では京都二中との戦いは、延長13回の激闘の末1―2でサヨナラ負けという結果。
第1回大会は1915年に開催されましたから、実に100年もの間東北勢の優勝はなく、その呪縛にちなんで白河越えは使われるようになったのです。
ちなみに決勝の相手京都二中は現在の鳥羽高校。
今年久しぶりに甲子園に出場しましたね。鳥羽高校は惜しくも敗退していましたが、鳥羽高校が勝ち上がっていたら、また別の興味がわいてきたところでしたね。
その後甲子園の白河越えは、東北勢は春夏通じて10度決勝に進出し、10回のチャンスがありました。
春が3回、夏が7回です。やはり雪国で冬は思い通りに練習ができないため、夏のほうが強かった。特に昔はそうでした。
夏の7度のチャンスで、最も記憶に残るのが1969年の夏。太田幸司を擁した青森県代表の三沢が、松山商と松山商と引き分け再試合。再試合は2―4で敗戦という悔しすぎる結果でした。
白河越えのチャンスはまたすぐにやってきます。71年には田村隆寿がエースだった福島県代表の磐城が桐蔭学園に0―1で惜敗。
接戦での負け、第1回大会の記憶がよみがえるまさに呪縛のような出来事でした。
春が3回、夏が7回です。やはり雪国で冬は思い通りに練習ができないため、夏のほうが強かった。特に昔はそうでした。
夏の7度のチャンスで、最も記憶に残るのが1969年の夏。太田幸司を擁した青森県代表の三沢が、松山商と松山商と引き分け再試合。再試合は2―4で敗戦という悔しすぎる結果でした。
白河越えのチャンスはまたすぐにやってきます。71年には田村隆寿がエースだった福島県代表の磐城が桐蔭学園に0―1で惜敗。
接戦での負け、第1回大会の記憶がよみがえるまさに呪縛のような出来事でした。
近年では青森県代表の光星学院(現八戸学院光星)が11年夏から3季連続で決勝に駒を進めました。
しかし、2011年の夏は日大三に0-11で大敗。2012の夏は大阪桐蔭に0-3で惜しくも優勝は成らなかったわけです。
ちなみに春の大会は、2012に光星学院が大阪桐蔭に敗れています。
また、現在西武ライオンズで活躍する菊池雄星がエースだった岩手県代表の花巻東が0-1で清峰に惜しくも敗れています。
東北勢といえば、日本のエースダルビッシュや日本ハムの大谷翔平などを擁してもなかなかできない白河越え。
今年こそはきっとその偉業を仙台育英が達成してくれるのではないでしょうか。
雨で心配の甲子園球場。雨は午前中には止む予報が出ています。
甲子園の決勝のプレイボールが待ちどおしいですね。